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裁判員制度について
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投稿者 メッセージ
くろかりん
ゲスト





投稿1時間: 2007年4月15日(日) 01:43    題名: 引用

私は勝ち負けに興味がなかったのですが…。

議論は、よりよい結論に達するための
手段の一つだと、私は考えています。

論理は、議論の方向性をぶれさせないための指針。
または、自分の主張に根拠を与え、検証可能にするための仕掛け。
まあ、そんなところだと思います。

さて、本題の裁判員制度ですが
私の立場と問題提起はずっと同じです。

裁判員制度には反対ですが、実施が決まった以上
よりよいものにしなければならないとする立場で、
ところが他人に石を投げる人びとがあまりに多いので
学校教育や社会教育で、寛容な社会を築くべきだ
という問題提起です。

それに対してりんごさんは
裁判員制度は「ちょっとすてきな制度」で
裁判に参加することで自分の人生を振り返ることができ、
りんごさんの周囲のご婦人たちを例に、
裁判に際しても、日本人は私が指摘するほどひどくは振舞わない
というお考えだったかと思います。

実はりんごさんと私の目指す社会は
基本的なところでは同じだと思えるのですが、
ただ、ネット社会で他者を無闇にバッシングする人たちの存在を
私が指摘しているのに対して
りんごさんは、そんな問題は些細なことと考えていらっしゃるのか、
何らかの方法で問題を解決できるとされているのか
あるいは、そんな問題自体が存在しないというのか、
そこが私には分からないところです。

はじめから私たちの「議論」の論点はそこにあります。
よりよい裁判員制度にするには
私たちはどうすればいいのでしょうか?
りんごさんのご意見を伺えればと存じます。

りんごさんのご意見で私の懸念が払拭されるのであれば
りんごさんの「勝ち」、私の「負け」でぜんぜん構いません。
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青森りんご@所沢
玄人さん
玄人さん


登録日: 2006年9月 04日
投稿記事: 446
所在地: 所沢市

投稿1時間: 2007年4月15日(日) 00:39    題名: なるほどね 引用

とはいえ、私は勝ち負けにこだわります。

仲間との議論ならともかく、誰がどうなのか
まだわかっていないからです。

それとも、かしまさんは私を仲間だと思っているわけ?
We vs 問題  って?
(かなり核心を突いた質問です)
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kasima
上級者
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登録日: 2005年10月 12日
投稿記事: 190

投稿1時間: 2007年4月14日(土) 21:45    題名: 引用

>というわけで、私は論理的でない書き込みをめげずに
 続けていて、なんとなく負ける気がしないんです

誰も勝負なんてしてないから勝ち負けありません Cool
だから負けることなどありませんよ。


blog.lv99.com/?eid=561431

これを読んでみて
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青森りんご@所沢
玄人さん
玄人さん


登録日: 2006年9月 04日
投稿記事: 446
所在地: 所沢市

投稿1時間: 2007年4月14日(土) 21:14    題名: この際いっておこうっと 引用

日本には論理的な言説があふれています。

でもどこかおかしい。弁解のようにも聞こえます。

なにより、これからの社会をどうすればよいのかの
未来図を感じることができないのです。


地震で放射能もれでもあったら、いちはやく脱出するのは
その論理的な人たちではないでしょうか。

あるいは確実な投資をして外貨で預金して税金を逃れる

みんながやっている、自分のところでやめたら申し訳が立たない
天下りの人たちの論理・・・・・

国民年金を払って不安をかかえる人間など眼中にない
そういう人たちは非常に論理的です。

あ、かしまさんはそうでもない気がします。
私なんかにかまっているところをみると
論理的な思考ができそうでできないんじゃないの?

また、しかられそう。

というわけで、私は論理的でない書き込みをめげずに
続けていて、なんとなく負ける気がしないんです。 Wink
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kasima
上級者
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登録日: 2005年10月 12日
投稿記事: 190

投稿1時間: 2007年4月14日(土) 17:27    題名: 引用

下記は私が間違えて書き込みました。ごめんなさい Embarassed


更にその下も間違えて消してしまいました Embarassed
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ゲスト






投稿1時間: 2007年4月14日(土) 17:23    題名: 引用

kasima wrote:
>議論の論は論理的の論でしょうか?
 主張するぐらいの意味ではありませんか?

どこの掲示板でもリズムが合わなかった理由がこれでしょう。
常に「議論は勝ち負けと」いうのと主張するぐあいの意味・・・・?
まじめちゃんの場合は非論理的な展開をするので馬が合ったのでしょうね。



>また裁判官が今のままでは務まらないので裁判員というものが
 必要だとの理解です。

これについてはご自信で更にお調べください。
エキスパートの裁判官が勤まらない激務が素人に対応できるはずもありません。



この辺でマイムさんの登場を願います。
客観的なお話でもしていただければ嬉しいかな Cool
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kasima
上級者
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登録日: 2005年10月 12日
投稿記事: 190

投稿1時間: 2007年4月14日(土) 16:47    題名: 引用

削除

編集者: kasima, 最終編集日: 2007年4月14日(土) 17:28, 編集回数: 2
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青森りんご@所沢
玄人さん
玄人さん


登録日: 2006年9月 04日
投稿記事: 446
所在地: 所沢市

投稿1時間: 2007年4月14日(土) 14:33    題名: 議論の定義につきまして 引用

議論の論は論理的の論でしょうか?
主張するぐらいの意味ではありませんか?

また裁判官が今のままでは務まらないので裁判員というものが
必要だとの理解です。
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kasima
上級者
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登録日: 2005年10月 12日
投稿記事: 190

投稿1時間: 2007年4月14日(土) 14:14    題名: 引用

>論理的に間違っているのかもしれませんが
 今の世の中をどうしたらよいか、という議論の大筋では
 間違っていないと思います。

今まで、りんごさんのいう議論に違和感を感じていたのですが
なんとなく理由がわかりました。

議論しましょうといって話が進むうちに方向性が変わったり、話自体が変わった理由が
「論理的に間違っていても議論の大筋が正しければよい」なんですね。


議論は論理的に構築していくので、論理破綻したら議論は成り立ちません。
間違いではなくて失敗なのです。

今後は議論という言葉を使わないほうが良いかと思います。
みんなで雑談ならば一般論でも自由な展開ができると思います。


>無理やり裁判員制度につなげたっていいじゃないでしょうか。

一般人が人を裁く難しさから裁判員制度に反対する者には良くない事です。
裁判官は、研修を受け、勉強し、自己研鑽に励み裁判官になった人たちです。
誰にでも替りができる職種の人ではありません。
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青森りんご@所沢
玄人さん
玄人さん


登録日: 2006年9月 04日
投稿記事: 446
所在地: 所沢市

投稿1時間: 2007年4月14日(土) 12:40    題名: 時間がないのでちょっとだけ 引用

もちろん私自身も気づかないであれこれ正しくないことをしている
だろうと思います。

またかなりいい加減なところがあります。

「探し出して懲らしめよう」ではないのです。
気づいて直してほしいだけです。

無理やり裁判員制度につなげたっていいじゃないでしょうか。


ともかくみんなが暮らしやすくなればいいのだと思います。

論理的に間違っているのかもしれませんが
今の世の中をどうしたらよいか、という議論の大筋では
間違っていないと思います。

人を裁こうとするとき、今まで振り返らなかった自分のことを
振り返るのではないかと思います。

なにか大きな制度をつくるとき、一石二鳥どころか、四、五鳥ぐらい
狙うべきです。

こういう場合が不安だ、ああいう場合は困る、などといって
結局何も変わらず、滅亡への道では、とんでもないことです。

だめだったら、修正すればいいし、何もしないで人を責めるということをやめて
何とかしようという気持ちになることが大事だと思います。

右とか左とかプライドとか格とか、
そんなことをいっている場合ではなくなっています。

また残念ながら、気持ちの持ちようだけでは、もはや社会はもたなくなって
来たと思います。すなわち宗教の限界です。

みんなが少しずつ余力を出す、余分の欲を捨てる、
組織の仕組みを変えることをためらわない、
他人を大きく責めない(指摘は当然ありますが)

そういったことが大事だと思います。

なのであんまり細かいことをレスしないでくださいね。(笑)


青森りんご@所沢が2007年4月14日(土) 14:28に記事を編集, 編集回数: 1
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くろかりん
ゲスト





投稿1時間: 2007年4月14日(土) 12:31    題名: さて裁判員制度 引用

青森りんご@所沢 wrote:
今まで銀行や生保の給与が高かったということに
もし経営の努力ではなく、こういった暗い部分があるのだとしたら
裁判員としての資格が問われるのではないでしょうか。


昨夜はものすごい雨でしたね。
さて、保険はともかく裁判員制度に戻ります。

りんごさんの考えの根底には上のように
裁判員は人として正しくないといけないという思いがあります。
しかし、現実に、それを判断基準に裁判員を選べますか?
そもそも罪のない人間がどれだけいるのでしょうか?

また、悪い人間を探し出して懲らしめたいという気持ち。
これはあらゆる人が持っている気持ちですが
りんごさんは、そんな人間のサガに無自覚ではありませんか?
いくつかの書込みから、そんなことを感じます。

罪を犯した者に対して、むやみに寛容である必要はありません。
しかし他者を罰したいという心が自分にあることを知り
歯止めをかけることは、裁判員にとって不可欠です。
そうでないと、集団心理が働き
ただのリンチになりますから。

被告席にいり「悪い人間」について
あーだこーだと分析したり批判したりすることで
「ちょっと素敵な時間」を過ごすというのは
私からすれば、民主主義の最大の欠陥の一つに見えます。
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kasima
上級者
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登録日: 2005年10月 12日
投稿記事: 190

投稿1時間: 2007年4月14日(土) 10:24    題名: 引用

申請(連絡)しなければ保険会社は「必要の事実」を知ることができません。
電話一本で担当者は来てくれますよ。

認知症ならば身内の責任で対応すればいいでしょう。
家族がまとめて不幸にあったならば・・・保証金なんかいらないでしょう。

たとえ病人でも自己責任という考え方は必要です。


>この際、生保や銀行は高齢化に対応し、もっと想像力を働かせた
 弱者に優しい経営をするべきだと思います。

極論、弱者を支える勤労者層の差別につながる【掛け声福祉】は正しいことでしょうか。
それも差別ではありませんか。

そこまでいうと、無限の論争を呼びますがせめて医療関係では対応できる保険関係の確認は本人主体でおこなって欲しいですね。
死亡時の保障なんてどうでもいいです。亡くなってお金をもらっても嬉しくないです。


>今まで銀行や生保の給与が高かったということに
 もし経営の努力ではなく、こういった暗い部分があるのだとしたら
 裁判員としての資格が問われるのではないでしょうか。

無作為抽出ならばぜんぜん問題とはなりません。
無理やり裁判員に繫げたように思えます。
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青森りんご@所沢
玄人さん
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登録日: 2006年9月 04日
投稿記事: 446
所在地: 所沢市

投稿1時間: 2007年4月14日(土) 09:56    題名: 生保不払いについて 引用

生保の支払いは申請で払うということなのですが

高齢化社会となり認知症など申請できなかった場合
あるいは事故で家族が一緒になくなってしまった場合

などは、どうなっているのでしょうか。

主契約は大きいものです。

これを知らんぷりという社会の仕組みでいいのでしょうか。

銀行の預金や貸金庫についてもそういうことがいえます。

たとえば入院中他人がめんどうをみたとしても疾病保険の
手続きまではできないでしょう。
善意の人がその保険が受け取れるのを知り、手続きできるように
できないものでしょうか。


また申請がなくても、きちんと精算し国庫に入れるとか受取人に渡るようにする
仕組みを作るべきです。

もらえるのに困窮の果てに亡くなっていくことも考えられます。

この際、生保や銀行は高齢化に対応し、もっと想像力を働かせた
弱者に優しい経営をするべきだと思います。

今まで銀行や生保の給与が高かったということに
もし経営の努力ではなく、こういった暗い部分があるのだとしたら
裁判員としての資格が問われるのではないでしょうか。
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kasima
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登録日: 2005年10月 12日
投稿記事: 190

投稿1時間: 2007年4月12日(木) 11:33    題名: 失礼しました 引用

トピタイに合わないので終了
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kasima
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登録日: 2005年10月 12日
投稿記事: 190

投稿1時間: 2007年4月12日(木) 11:29    題名: 引用

>農業は天候に左右されて難しい面もあると思います。
 国としても多角的経営をするべきだと思います。

多角的経営とは、生産だけに捉われずに流通や販売にまで手を出す事でしょうか?

私のいう国家主体とは「規制緩和と技術指導、流通余剰の買い上げ」です。

共産圏の素晴らしいところは、集中した大規模農業が可能なことです。
現代の技術力をふんだんに使い、従来の農業従事者に建設土木従事者を有効に
活用すれば、ローコストで品質の良い生産が可能になります。
規制緩和が進めば民間企業で十分な生産と管理ができます。

国家は余剰を通常価格で買い取り、外交戦略に使用すれば良いのです。

岩瀬さんは水を売るといっていましたがセット販売してもいいですねw


日本の国土は狭いといいながらも、遊んでいる土地や遊ばせている土地が
大変多くあります。潰れたゴルフ場だってサツマイモくらい3年あれば作れます。

八郎潟なんて・・・宝が捨ててあるようなものです。


また、東京の中心部に大規模な地下水耕栽培実験所があります。
順調に研究は進んでいて一部の根菜類は出荷されています。
太陽は必要不可欠ですが、太陽が無くても生産できる(品質・コストを満足する)ものが
多く存在し、大量生産も可能な段階にきています。
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kasima
上級者
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登録日: 2005年10月 12日
投稿記事: 190

投稿1時間: 2007年4月12日(木) 11:08    題名: これは回顧主義以前に想定不可能 引用

>エネルギーについて江戸時代は鎖国政策にもかかわらず
豊かに暮らしていたようです。
海運といったことを見直すことがいいのかもしれません。

人間特性・・・
一度知ってしまった【楽】からは逃げることができない。

国家の特性・・・
後戻りはしない

江戸時代と現代をエネルギー問題で比較をすることは愚かです。
「日本人の精神」を観念として比較することは可能ですが
それをもって、現代に適用しようとすることも不可能でしょう。

結論・・・過去との対比は研究者の担当です。
     または、精神論者の掛け声でしかありません。

精神論としては「温故知新」のことわざもありますが
現代での物理的活用はどうでしょうか・・・ね
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青森りんご@所沢
玄人さん
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登録日: 2006年9月 04日
投稿記事: 446
所在地: 所沢市

投稿1時間: 2007年4月12日(木) 08:10    題名: いろいろな角度から 引用

小学校の教員を長く勤めた主人の母が、よく政治について
ニュースを見ながらこうすればいいのに、といっていたのを
思い出しました。

農業立国はいいお考えだと思います。
食料の自給率はあげていくということは大事ですし、
今、食が見直されている時期でもあります。
食をきちんとすることでアレルギーなども改善されるかもしれません。

医療費の削減にもつながると思います。
医師不足というならば頼らずに健康になるようにしなくてはなりませんね。
軽い病気なら薬より食習慣の改善でけっこう直ることが多いと思います。

私は青森の出身ですが、主人は関西の出身で知らなかった食べ物を
食べることができ、ありがたいことだと思っています。
どちらも比較的長寿の家系です。

青森の魚を利用した汁物、瀬戸内海の小魚
今の時期だと、なまのイカナゴを焼いて酢醤油で食べるというのが
いいですね。(こちらで売っていないのが残念)

なんでもアメリカでは日本食が推奨されているのだとか。
ところが、こちらでは揚げ物主体になっています。
また家庭では主婦が不規則なパートの時間で出ることも
多くなっていて食を考えることが難しくなっている気もします。

農業は天候に左右されて難しい面もあると思います。
国としても多角的経営をするべきだと思います。

それには平和な国というイメージが必要です。
防衛費を削ることが大いに日本を潤すことになると考えます。

エネルギーについて江戸時代は鎖国政策にもかかわらず
豊かに暮らしていたようです。
海運といったことを見直すことがいいのかもしれません。

また、繰り返しますがアメリカは日本の右傾化を嫌っていて
見えない形での経済封鎖、国民の弱体化を戦略として
もっているように思えます。
これはアメリカだけに限らないでしょう。

忙しくて、あるいは目先の欲で、大きなものを失うということは
もうやめるべきだと思います。
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くろかりん
ゲスト





投稿1時間: 2007年4月11日(水) 23:55    題名: 追記 引用

kasima様
タッチの差で先を越してしまいました。
妙に申し訳ない気持ちです。

さて、りんごさん、
先の返信を書いてから、隣のトピックを見ました。
具体的な提案をお出しのようなので
ここで私の考えを述べさせていただきます。

りんごんさん:
防衛費
医療費の細かい見直し
原子力関係
公務員の適正な配置
議員定数の削減

まず防衛費については
減らすことはかなり困難なことでしょう。
平和主義からすると戦争はあってはいけないことですが
国民の意識は改憲の方に向いています。
ですから、すぐに削減できるものではありません。

医療費の見直しについては
基本的には賛成です。
ただし医療側だけでなく
患者も賢くならなくてはなりませんね。

原子力については
代案がなければ実行不可能です。

公務員の配置については
これも強い抵抗を受けるでしょうから
実現はかなり困難ですが
手をつけなければならないと思います。
ただ教師については
優れた人材を高給で雇うべきだと思います。
たとえば虎の巻がないと授業ができない教師は不要です。
雑用はアルバイトを使えばいいでしょう。

議員定数の削減は
大賛成です。

以上、とりあえず。[/i]
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kasima
上級者
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登録日: 2005年10月 12日
投稿記事: 190

投稿1時間: 2007年4月11日(水) 23:53    題名: 予断ながら夢を・・・ 引用

今の産業形態は民間に頑張ってもらうのに併せて
国家としては農業立国を目指して欲しいかな。

国営ではなく、国家主体で民間に農業を開放し
食料増産、自給率100%を確保しましょう。

余剰人員は(特に建設土木関係)農業には安易に取り込めます。
自治体が(国が)その方面の予算を削減しても企業は生き残れます。
(準備期間は数年〜必要でしょう)

どんどん食料を生産して、外交戦略物質として余剰は利用しましょう。
将来、現金配るよりも有効な持ち駒になるでしょう>食べ物
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kasima
上級者
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登録日: 2005年10月 12日
投稿記事: 190

投稿1時間: 2007年4月11日(水) 23:28    題名: 編集・・・ダブったようですね 引用

限度を超えた働きすぎは・・・まずいです。
本末転倒・・・生きるために働くか、働くために生きるか・・・

でも、満州はピントがずれたたとえではないですか。
夢と希望を持って行き、戦渦に失ったのですから・・・

日本はお考えのように多種の資源が結構ありますよ。ウランまで採掘できます。
ただし、含有率が低い事もおおく採算が合いません。
自前調達よりも買ったほうが安いということです。
また、必要量までは賄えないでしょう>自前では


>私自身のことについていえば、時間があれば安くてよいものを買えるので
 心豊かに暮らすにはさほど収入がなくてもよい、と思います。

人間が人間である以上、そのお考えが持てる人はたいへん少ないでしょう。
妻子があり、父母があり、また夫があればよほどの資産がなければ嫌でも働きます。
修行僧にでもならなければ・・・全てのしがらみを捨てなければ・・・
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くろかりん
ゲスト





投稿1時間: 2007年4月11日(水) 23:25    題名: 引用

早速のご返信おそれいります。

りんごさん:働きすぎの社会は判断を誤らせます。

働かないと生活すら危うい「ワーキングプア」に
働くなというのは無茶な話です。
過酷な労働にあっても
将来に夢や希望があるなら
それでも人は耐えることができます。
「時間があればいいんだ」と言えるのは
食うに困らない人たちです。

りんごさん:日本はいろいろな鉱物資源の宝庫だそうです。

石油と鉄鉱石とウランはどうですか?
他の資源についても国内需要を完全に満たしているものは
どれだけありますか?
客観的な事実でお話をしましょう。

私の考えをここでまとめると:

日本は資源や食糧を自給できません。
 だから
国際平和を維持し、経済活動で立国しなければなりません。
 そのためには
国内の労働力の整備は不可欠です。
 しかし
夢が持てず、努力が報われない人がたくさんいます。
 そこで
所得の再分配と仕事のシェアが対策になると考えられます。
 さもなくば
階級社会のもとモラルは破壊され、やがて豊かさも失われます。

日本経済全体の規模がほとんど成長しない以上
新たな仕事を作り出しても
社会は豊かにはなりません。
どこかを削らなければならないのですが
たとえば公共工事を削れば
下請けの人たちの生活が破綻します。
自衛隊の規模を縮小しても同じです。
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青森りんご@所沢
玄人さん
玄人さん


登録日: 2006年9月 04日
投稿記事: 446
所在地: 所沢市

投稿1時間: 2007年4月11日(水) 22:32    題名: 桜は楽しまれましたか? 引用

働きすぎの社会は判断を誤らせます。

満州に出かけていって多くのものを失ったように
あるいはバブルの時期モーレツに働いてたくさんのボーナスをもらって
いたのに多くの失業者、自殺者を出す社会になったように

のど元を過ぎれば・・・・、ということだと思います。

日本は資源に恵まれないのでしょうか。

江戸時代の輸出品などをみるとそうでもなく、
また日本はいろいろな鉱物資源の宝庫だそうです。

外国資本に土地を売って儲けたと思って後悔しないようにしてほしいものです。

年金や保険を税金でなんとかでき、仕事が少しずつでも行き渡るように
する、ということが目標だと思います。

風力発電など環境関係での雇用を作り出す、
いろいろ問題化しているところの監視機関
孤独な食事を防ぐなどのための食重視の企業育成
そういった仕事が考えられると思います。

私自身のことについていえば、時間があれば安くてよいものを買えるので
心豊かに暮らすにはさほど収入がなくてもよい、と思います。

現在豊かな人たちが子々孫々豊かであるとは思えませんし、
最近は豊かな人たちの事件がよく起きているともいえます。
ですから、おそらく豊かな人たちもこのままでよいとは
思っていないでしょう。


あちこちで書いておりますので、重複していることが多いような気がします。

また、もちろん議論を重ねてきましたように社会改革は早急に必要だと思います。
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くろかりん
ゲスト





投稿1時間: 2007年4月11日(水) 19:12    題名: ごぶさたです 引用

青森りんご@所沢 wrote:
むしろ、家族団欒の時間を返上し、働きすぎてものを作りすぎ、
押し付けて国際社会で顰蹙を買う
あるいはゴミになってしまう、環境を破壊する

そういった時間の使い方を何とかできないものか、と思います。

日本人の仕事をするのはいいことだ、を軌道修正するべきときだと思います。


おっしゃることは分かりますが
それは絵に描いた餅ではないでしょうか?

そもそも資源に恵まれない日本は
海外と交易することではじめて
快適で便利で豊かな社会を維持できるのです。

仕事を懸命にしないということはすなわち
豊かさをあきらめるということに他なりません。
いえ、あまり働かなくてもお金が入ってきたり
土地や株を持っている人は何をどうしても豊かなままで、
懸命に働いている人が、より貧しくなっていくのが
実はスローライフの正体であると私は考えています。

美しいものに立ち止まり
美しいと感じるためには
生活が安定することが必要です。

裁判員になっても
罪を裁き、また赦そうとする場合
生活が安定してこそ
当事者の心を知り、慈愛のある見方が
できるのではないでしょうか。

私も美しいものは大好きです。
音楽も自分の生き甲斐のように感じて生きてきました。
しかし、それも生活があってのことだと
この数年は痛切に感じています。

私よりももっと困難な状況にある人もいるかと思います。
そうした人に対して
「立ち止まってみましょう」とか
「美しさを感じましょう」というのは多分に場違いで
楽な仕事で豊かな人たちに対して
困窮をシェアすることが、「美しい行い、美しい心」だと説くことが
必要なのではないですか?

でも、豊かな人はそんなことはしません。
楽な仕事や、そうして築いた財産を手放す人もいません。
だから、社会改革が必要なのです。
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青森りんご@所沢
玄人さん
玄人さん


登録日: 2006年9月 04日
投稿記事: 446
所在地: 所沢市

投稿1時間: 2007年4月01日(日) 21:39    題名: もしかしたら 引用

柄さんは、ちょっと硬直ぎみになってきた議論を
和らげようとしてくれたのかもしれません。

それにしても、なんと読んだらいいのでしょう。

え さん  なのか  がら さん なのか へい さん なのか
それとも他の読み方があるのか気になります。

姓名として 使われるときには、まったく違う読み方をするとか。

実のところ、貴重な時間をさいて、読んでくださる方がいるということは
たいへん、ありがたいことです。

私などは、せいぜいちょっとだけいいでしょ、ぐらいの時間のはずです。

むしろ、家族団欒の時間を返上し、働きすぎてものを作りすぎ、
押し付けて国際社会で顰蹙を買う
あるいはゴミになってしまう、環境を破壊する

そういった時間の使い方を何とかできないものか、と思います。

日本人の仕事をするのはいいことだ、を軌道修正するべきときだと思います。

いま、この桜や緑が美しいこの時期、それが目に入らず、
働くことに生きがいを持っておられる方

どうぞ立ち止まってゆっくり春を感じてくださいますように。
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くろかりん
ゲスト





投稿1時間: 2007年4月01日(日) 13:02    題名: いい標本がやってきました 引用

柄 wrote:
りんごは相変わらず愚にもつかない事を書く悪人である
なぜ悪人かと言うと、他人の時間を盗むからである


裁判員制度の問題点を語るうえで、いい標本がやってきました。

他人を「悪」と決めつけ
自分のストレスを解消するために石を投げる。
こんな人が裁判員になったら困るのです。

りんごさんを批判することでストレスを解消しているという見立てですが
「相変わらず」とあるように
いつもりんごさんの発言をウォッチして
「愚にもつかない」とツッコミができるチャンスを窺がっている。
それは、ストレス解消でなければ
キモいストーカーでしかありません。

柄さんへ:
りんごさんは顔や実名をネットにさらしています。
そんな方に対するあからさまな暴言は
名誉毀損もしくは侮辱罪にあたる可能性もあります。
批判があれば、どうか対話か議論でお願いします。
「他人の時間を盗む」という見方は
りんごさんへの批判としての是非はともかく
さまざまな問題を論ずるうえで
面白い切り口になると思いますので。
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青森りんご@所沢
玄人さん
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登録日: 2006年9月 04日
投稿記事: 446
所在地: 所沢市

投稿1時間: 2007年4月01日(日) 11:03    題名: あ、もしかして 引用

柄様へ

ブログで愛を「時間」でもって定義したことを
おっしゃっているのでしょうか。

愛とは早い話が時間の奪い合いもしくは与え合いかもしれません。

もちろん偏狭な愛でなく、愛全般を考えるのですが。

愛をいただき感謝申し上げます。
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ゲスト





投稿1時間: 2007年4月01日(日) 08:13    題名: りんごのしっぽ 引用

りんごは相変わらず愚にもつかない事を書く悪人である
なぜ悪人かと言うと、他人の時間を盗むからである
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青森りんご@所沢
玄人さん
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登録日: 2006年9月 04日
投稿記事: 446
所在地: 所沢市

投稿1時間: 2007年3月31日(土) 22:21    題名: 考えてみれば 引用

くろかりんさんとのやりとりからいろいろなことを考えます。

教科書は狭量な検定ではなく、認可程度でいいのでは
と思います。

実際、私の息子の一人が通っていた高校では、教科書ではなく
使いやすく評判がよい市販の参考書を教科書代わりにして
教科書は名目だけのような存在でした。

教科書ガイドはおそらく部活などで勉強するヒマのないような生徒が
授業であたったときに答えるため使う必要悪のような存在だと思いつつ
下請けで、私としてはありがたい額の収入のために書いておりました。

そういったことを考えると、私も負の方向の何かに加担したことに
なるのかもしれません。

私自身の中学時代の数学の教師は、ずっと余談ばかりで
その余談もあまりためにならないものでした。

しかし、そのおかげで、ほとんどの内容を自分で考えることになりました。

通学にかなりの距離を歩いたのですが、歩くことが
考えるために効率的なものだと最近気づきました。

完璧な教師、完璧な教科書が必ずしも最良ではない、ということも
いえます。

今思えば高校生まで、必要だったのは、山や自然の美しさ、
さまざまな人間との関わり、さまざまなジャンルの本、
であり、ひとりで過ごす連続した時間、であったような気がします。

公立の学校で、部活動ができるなら強制でなくなることを
願っています。
もちろん部活動で活躍する生徒たちも大勢いてほしいと思いますが。

学校、とくに公立の学校では制服や規則など考える時期に来ている
と思います。

教育の場で、上下関係のある人間関係が、私たちのころより厳しくなっている
気がします。
そういった組織から自殺者、犯罪者、鬱病が出ている
そういうふうに見えなくはありません。

思いつくままのとりとめもない書き込みをお許し下さい。


青森りんご@所沢が2007年4月01日(日) 10:56に記事を編集, 編集回数: 1
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くろかりん
ゲスト





投稿1時間: 2007年3月31日(土) 18:22    題名: ひとの心 引用

りんごさんのもう一つ前の書込みへのお返事です。

ひとの心を感じることが
裁判員制度において大切であるというお考えには
もちろん賛成です。

ただ、今日の社会で、「心の大切さ」が訴えられるとすれば
いま学校で配られているような「心のノート」だとか
導入が決まった道徳教育だとか
そんな胡散臭いものになりそうで心配しています。
もはや、心も国家に管理される時代なのかと
暗澹たる思いです。
もちろん、一般社会では
心もまた商品化されているのが現実です。

心の教育においては
ひととひととの対話が欠かせないものと考えています。
それは消費の枠組みに入ってはならないものです。
もちろんあらゆる権力が扱ってもなりません。
政治家や企業は、そこが分かっているのか
わざとやっているのか、
商品化、教条化、マニュアル化を進めようとしているように
私には映ります。

だからといって、
私たちは消費とも政治とも無縁ではいられません。
ですから、りんごさんとのこうした対話も
その成果がどこかで表れるなら
とてもいいことだと常々思っております。
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くろかりん
ゲスト





投稿1時間: 2007年3月31日(土) 18:07    題名: 教科書は目的ではなく手段です 引用

教科書検定のお話が出ていますが
検定のメリットも考えておかなければなりません。

教科書検定とは、教える内容にブレが出ないように
教材の根幹である教科書の内容を
できるだけ統一しようというところが大きな意義の一つです。
学校や地域や教師によって
教えられる内容に大きな差が生じるとすれば
教育の不平等が生じる可能性があります。
もちろん、権力による思想統制の危険もありますが
思想的に偏った教科書を排除する必要もあるかと思います。

実際に大手の教科書会社の
歴史教科書を読んでみますと(仕事でかかわりました)
執筆者と編集者の苦労が窺える内容と表現になっています。
戦争や侵略、南北問題や環境問題について
きちんと読解力があり問題提起のある教師ならば
教科書を出発点として魅力ある授業を展開できるように
表現、行間にいたるまで相当な工夫が凝らされているのです。
(ただし、おっしゃるとおり、おもしろくはありません)

つまり、教科書を教えるというのではなく
教科書で教えるというのが本来の授業であると
私は考えております。
虎の巻がないと授業ができないというのは
私見では、知的破綻者であり教師失格です。

以上のことを考えますと
もし教科書検定をなくすのであるなら
子どもがその授業のレジュメをあらかじめ見て
教師を自由に選べること、
そして、虎の巻がないと授業にならないレベルの教師は
教育の場から退場していただくこと、
以上の2点が大前提となるかと存じます。
それが現実にはできないから
教科書検定が今なお必要なのではないか
このように考える次第であります。

高校生のころ、社会科で教科書をほとんど使わない先生がいました。
彼の授業で私は、宗教や思想について
どれほど多くのことを学んだか、
お礼のしようもないほどです。
その先生は工業高校を出て、苦学して夜学へ進み
教員免許をとったというエピソードを聞きました。
彼の授業内容は
今になって教科書を見ても
教科書よりも相当に濃い内容でした。
また社会について、
ご自分の思想を押し付けることの決してない方でした。

そんな教師ばかりであれば
私もりんごさんのご意見に賛成できるかもしれません。
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青森りんご@所沢
玄人さん
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登録日: 2006年9月 04日
投稿記事: 446
所在地: 所沢市

投稿1時間: 2007年3月31日(土) 14:16    題名: 教科書検定に思うこと 引用

現在の日本の教育が行き詰っている以上、
今までの教育というものをよく考える必要があるだろうと思います。

教科書というものに自分では少なからず因縁がある、と思うのは
ちょっと非科学的な説明になりますがお許しください。

教科書ガイドというものがあります。
虎の巻というものです。ちなみに私は寅年で名前をまきこといいます。

高校の数学の教科書ガイドを作るという仕事をかなり長い間しておりました。
当然、隅から隅までみることになります。

これで数学が嫌いにならないほうがおかしい、と思いつつ
作っておりました。

もしかしたら、教科書を執筆される先生方もそう思って
おられたかもしれません。

教科書検定制度があるためではないか、と思います。

日本の理系が独創性にいまいちなのは、
あるいは日本の若い人が好きな仕事につけないのは

教科書がまずくて、数学が好きになれない、得意になれない
せいではないか、そう思いたくなります。

さらに、歴史教科書で家永裁判というものがありました。
家永先生の書かれた歴史教科書は(私は読んだことはないのですが)
楽しいとの感想を読んだことがあります。

家永先生が晩年介護を受けられた折、親類の者がヘルパーとして
出入りしておりました。

亡くなられた折に配られたという冊子をもらい、
その中で、「真城子」という小説を書かれているのを知りました。
勝手に呼びかけられている気がしたものです。

ちょっと古めかしく今の時代には合わないかもしれませんが
意外な一面を知ることができました。

教科書検定というものは、人間を一面的にしか育てないものである
ということができるでしょう。

教科書検定を続けるならば、日本の未来はけっして明るいものには
ならないと思います。

惰性というもの、あるいは教育を食い物にするものがあるとすれば
それは日本の害毒である、即刻取り除くべきだ、と考えます。
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青森りんご@所沢
玄人さん
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登録日: 2006年9月 04日
投稿記事: 446
所在地: 所沢市

投稿1時間: 2007年3月30日(金) 22:50    題名: 見ず知らずの人と 引用

ネットとはこうして見ず知らずの人とかんたんに言葉を交わすことができる、
ということにあらためて驚きます。

しかもこのやりとりを多くの人に見てもらうということもできます。

将棋をさしているのをまわりでみる、そういった感じもしないではありません。

元来、人間はそういったものを求めているのだ、
ということに気がつきます。

科学の進歩によりロボットなどをつくって、わずらわしいことなしに快適に
人間がひとりでも生きていける、という展開にはならないのですね。

まちづくりで、初夏あたりからフリーマーケットを検討しております。
未知との遭遇ということに対しての欲求というものが、
意外にも保守的である、ということになるのでしょうか。

3歳から4歳ぐらいの子どもが社会性を持ち出したときの
気持ちになって、世界中の人がつながったらどんなにいいか
と思います。

宗教も民族も越えて、言葉を交わす、何かを伝える、
それができることの不思議さを共感する。

人間の心にはまだまだ良くも悪くも未踏な部分というものが
あるのだと思います。

その部分に踏み込まなくては、裁判に限らず、物事の解決には
ならないのだと思います。
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くろかりん
ゲスト





投稿1時間: 2007年3月30日(金) 02:28    題名: 暖かな一日でした 引用

「君子豹変す」ということもあります。

私も決して日本に絶望しているわけではないのです。
ほんとうに絶望していたら働くことなどできません。
ただ、未来が見えにくい。

これがニートやホームレス
あるいはワーキング・プアと呼ばれる人びとだと
さらに深刻な状況にあるのだと想像します。

前に表の掲示板でさらっと書いたことがあるのですが
日本の流行は、特定の人たちの差配により決められています。
テレビ、雑誌、ネット、クチコミなどあらゆる宣伝方法が
タレントも含めて動員されています。

そうした宣伝においては
未来とは消費の可能性に他なりません。
より多く消費できる人は勝ち組とされ
そうでない人が負け組みとされるよう仕組まれています。

法や制度をあれこれ改善することも大切なのですが
消費社会の枠組みや価値観にせいいっぱい抵抗することが
社会を根底から変える一歩となるのではないでしょうか?

先日、アエラを読んでいたら面白い記事がありました。
「立て万国の貧困者」と題されたその記事では
ワーキング・プアの組合がとりあげられていました。
私はそれを読んで、日本は捨てたものではないと感じました。
そうした連帯に参加する人は
死刑になるような犯罪には手を染めません。

同誌の別の記事「下流アナーキー・イン・ザ・ニッポン」では
世の中の価値観の反転を目指して活動する若者の
ユニークなデモがとりあげられていました。
これも、敵討ちや征伐といったこととは無縁な思想です。

とにかく、一部の権力者やお金持ちが
ますます自分の地歩を固めることになる政策や金儲けを
そのままにさせておくわけにはいきますまい。

これは、人びとの心を操作して行われていることであり
貧乏な私の妬みやそねみからの考えではないことを
特に申し添えておきます。

それにしても暖かくなって参りました。
今日は渋谷と目黒あたりを通ったのですが
桜がきれいでした。
この美しさが、1年後も10年後も100年後も
繰り返し訪れるような国であったらと思います。
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青森りんご@所沢
玄人さん
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登録日: 2006年9月 04日
投稿記事: 446
所在地: 所沢市

投稿1時間: 2007年3月29日(木) 22:34    題名: ブレではなく 引用

しだいに空気が変わってきたような気がするのです。

昨年はほんとうに絶望的な気がするときもありました。
こんな日本ならば消滅した方がよいと思う人たちがいても
仕方がない、と考えるほどでした。

ふだんは相当に鈍感で神経が太いところがある私ですが
風にはかなり敏感です。

春のきらきらした光の中で雪融けが加速していく
そういった気がします。

矢が放たれるという表現は穏当でなかったかもしれません。
私が実際矢を放つわけではなく、神の矢、天罰としての意味、
あるいは秀吉の威嚇の手法をまねただけです。

だいいち、すべて私の想像のなかでのことなのですから、
糾弾できるはずもありません。

国立公文書館がネットでも利用できるようです。
宝探しみたいな気分になります。

たしかに、私はぶれるのかもしれません。
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くろかりん
ゲスト





投稿1時間: 2007年3月29日(木) 19:03    題名: 先を越されましたが 引用

どう書こうかなあと考えあぐねているうちに
先を越されてしまいました。

kasimaさんのご指摘のように
りんごさんのスタンスのブレを感じていたのですが
それにはとりあえず触れません。
(他のトピックでの「女性の抑圧」の問題についても)

武富士放火事件の被害者とその家族については
まことにお気の毒で
遺族が小林被告の死刑を望むことは当然のことと思います。
しかし、それでも、死刑は止めるべきだと私は思います。
なぜなら、死刑は加害者の悔悛に必ずしもつながらず
心の底から悔悛した加害者を見て
赦せないものを赦すことこそ
被害者や遺族の心の救いになると信じるからです。

また、現在の刑罰のあり方についても
今日の無期懲役は絶対的な終身刑ではないとはいえ
加害者がただ表面的に「いい子」にしていれば
何ら反省することなく社会復帰することは
かなり難しい状況にあります。

ですから、私は、
法や刑にたすざわる方々のご苦労はあろうかと思いますが
不完全な無期懲役の中で
いかにして加害者を悔悛させるか
そこに力を注ぐべきではないかと思うのです。

私は、自分の家族が殺されたこともないですし
加害者の怒りや憎しみや悲しみを
本当のところは分かりません。
ですから、きれいごとを言っているかもしれません。

しかし、国家が敵討ちの代行をしたり
秩序を乱させないよう「みせしめ」を行うというのは
私の中の民主主義国家観にはありません。

国家間の紛争に
日本(人)に害を与える相手を攻撃するという考えを
りんごさんはおとりにならないと思います。
それは、個人間においても
同じことではありませんか?
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青森りんご@所沢
玄人さん
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登録日: 2006年9月 04日
投稿記事: 446
所在地: 所沢市

投稿1時間: 2007年3月27日(火) 23:53    題名: つけ加えて 引用

5人の人間を殺したら死刑で
交通事故や災害で多くの人間が亡くなっても
責任者は罪を問われない場合さえあります。

薬や車などでも、多くの人が亡くなっていきました。

もしかしたら、日本でも世界でも死刑さえも格差社会の下層部分が
引き受けているのでしょうか。

大罪を犯した人間は少なくとも、その罪をじっと見つめている目に
気がついてその行為をやめてほしい、
できれば贖罪の気持ちをもって、その償いをしてほしい、と思います。

そうでなければ、権力者の地位を降りたとき、
裏切りと糾弾の矢が放たれることになるでしょう。
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青森りんご@所沢
玄人さん
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登録日: 2006年9月 04日
投稿記事: 446
所在地: 所沢市

投稿1時間: 2007年3月27日(火) 21:14    題名: あ、かしまさんだ 引用

かしまさんにしてもくろかりんさんにしても
たいへん興味があるのですが
深く詮索しないことにいたします。

△發舛蹐鷸犒裟度には反対なのですが現行の制度では、という意味合いです。


5鵑欧気擦討い燭世い震簑蠹世鯤けて考えるのは当然だと思います。

ず枷衆制度に政府や議員の陰謀があるのでしょうか。
 それは考慮に値することかもしれませんね。
 ご教示を感謝いたします。


繰り返しになるかもしれませんが、
裁判官という人たちは、やはり大いに人とのつながりを持って
暮らすということができにくいのではないでしょうか。


生活者として、少なくとも母親とか女性とかの視点は持ちにくいのではないか、
あるいはどの程度加害者の環境を理解できるのか
昨今のようにいろいろな新しい要素をもった犯罪の加害者をひとりで裁けるのか、
といった問題はあると思います。

また、裁判員の選び方などは検討の余地があると感じます。
各国の制度など、もっと知りたいと思います。

裁判員制度を考えることは、死刑制度を考える機会になる
のではありませんか。
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kasima
上級者
上級者


登録日: 2005年10月 12日
投稿記事: 190

投稿1時間: 2007年3月27日(火) 19:55    題名: 引用

普段は自虐的に日本を語っている人が日本擁護とは珍しいですね。
まぁ反論の為の反論にならなければ良いですが Cool

/裕い里△訖斥佑麓分に似せて人間を作ったと言ってますから
 案外簡単に作れたのではないでしょうか・・・神にも宗教にもよりますけどね。

∋犒困当然だというお考えには賛同できません。
 理由はどうあれ人が人を殺してはいけないし、その権利もないでしょう。
 また、抑止力を考えるのであれば、裁判自体には何も力はありません。
 その結果の「刑」「人の判断」を本人がどう評価するかだけです。

L簑蠹世箸靴討△欧觧項は課題とはなっても、情状判断の元とするのは危険です。
 分けて考えないと本質を見失います。

ず枷衆制度を楽しそうにお考えのようですが、人のプライバシーに立ち入り人を
 裁くという手伝いは常人に容易くできる事ではないと思います。
 普段は政府や議員の陰謀説を好む方が、今回は何故スルーなのか不思議ですね。

イ噺世い覆ら、自分で「反論のための反論を書いてやがる」などと某チャンネルで
 言われそうなので後で消します。
 スパムやスパムにスパムが関西から送られてきます から・・・。

 (そんな理由でお相手してませんでした<本音)
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青森りんご@所沢
玄人さん
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登録日: 2006年9月 04日
投稿記事: 446
所在地: 所沢市

投稿1時間: 2007年3月27日(火) 17:35    題名: ちょっとお元気がないようですが 引用

日本の状況がシャボン玉、というご意見に対しては
ちょっと異議を唱えたいと思います。

冬の雪の下で力強く芽吹いている植物のように
まだまだ、日本という国は大丈夫なような思いを
することがあります。

神なる存在がいたとして、人間をつくったとき、
企画、製作とかなり時間がかかったことでしょう。
目や鼻の位置、内臓、脳の働き、・・・

きっと、作り上げたときには満足感と愛着を覚えたのではないでしょうか。

不条理と思える世の中のいろいろが、もしかしたらすべて
必要なことなのかもしれない、と少しばかりの庭でいっせいに
芽吹いている植物を眺めながら考えたりします。

今、ウグイスが鳴いています。
どういうわけか、我が家の庭は、今年ウグイスの立ち寄り先となったようで
なんというプレゼントでしょうか。

さて、裁判員制度についての議論に戻りたいと思います。
青森県弘前市の武富士放火事件の小林被告に死刑判決とのことです。

現在の制度では当然の判決だと思います。
しかし、裁判というものは今後、同じような事件が起こらないようにするという
働きもあっていいものと考えます。

問題点として
青森の貧しさ、タクシー運転の労働について、サラ金の存在、
ビル管理のあり方(避難口)、
防犯のあり方

そういったものが少しでも改善されなければ、犠牲者の方や小林被告の
人生は何であったのか

と思います。

判決の詳しいことがよくわからないままに書いてしまいました。
ご意見を伺いたいと存じます。

それにしても、私自身は、りんごの質感、色、香りなどを思うだけでも
青森に生まれてよかったと思っているのです。
シャボン玉ではあまりにもはかなくはありませんか。
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くろかりん
ゲスト





投稿1時間: 2007年3月27日(火) 14:26    題名: 自己紹介はまた後日 引用

誘導するのはまったく得意ではありません。
アドリブの方が思いがけない展開があって楽しいと考えるタチでして・・・。

「りんごの唄」とは思ってもみませんでした。
そこから日本人の歌について考えるならば
「しゃぼんだま」が思い浮かんできます。

今の日本の状況は、
しゃぼんだまが屋根まで飛ぶどころか、
飛ばずに消えるどころでもなく
しゃぼんだまを吹きもしない、といったところに思えます。

しゃぼんだまやめた
吹くのをやめた
吹くのをやめて
おうちにかえる

なんとさびしいことですが
この次は、おうちからも出てこない展開が
待っていることと思います。

さて簡単な自己紹介をと考えましたが
仕事や経歴や学歴というものは
わたしの何を語るのだろうかと思ってしまいます。
また考えてみることとします。
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青森りんご@所沢
玄人さん
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登録日: 2006年9月 04日
投稿記事: 446
所在地: 所沢市

投稿1時間: 2007年3月25日(日) 22:39    題名: なにやら難しい議論に 引用

地震で被災された方が早く普段の生活ができますように
願っております。

くろかりんさんも体調には気をつけて下さいます様に。
ほんとうに食あたりというものはつらいものです。

さて、絵にしても音楽にしても、記憶の容量が小さいらしい私は
知識として全くといっていいほど入っていないのです。

暗譜というものがまるでできなくて、往生いたしました。

好きな絵とか曲は、私にとっては偶然の出会いといったもので
疲れているときなどに心にしみ入ってきたものです。

リパッティのピアノは音色が違うように思って心に残っております。

ほんの少しの好きな絵と曲があれば、というぐらいのものです。

それで、他人には薦めるくせに、他人から薦められてもおいそれ
と見たり聞いたりしない、というわがままなところがあります。

ベストセラーといわれる本や小説についても、
手には取るものの、頭に入ってきません。

どうも私は人間そのものに興味があるようです。
カウンセラーとか占い師がむいているかもしれません。

人相見とかできそうな気もいたしますが、
りっぱな風貌の詐欺師などにはだまされそうです。

日本人にとっての戦後の音楽は、歌謡曲で、りんごの歌でしょうか。

まさか、くろかりんさんは私にそういわせようとしているのでは
ないでしょうね。
歌詞までもが意味のあるように思えてきます。


きょうは裁判員の話題から離れて雑談をしてしまいました。

くろかりんさん自身についてあまり聞いておりません。
よかったらお話くださいますように。
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くろかりん
ゲスト





投稿1時間: 2007年3月24日(土) 18:12    題名: 食あたり 引用

食あたりと余波で休んでおrました。

老婆心にしても「ぼけ」の花にしても
言い換えるとかえってつまらないかもしれません。

りんごさんのブログをちょっとだけ拝見しました。
なにぶん長いのでざっとなぞった程度です。
シュッツをご存知なのですね。
わたしも若い頃から聴いたり演奏してきました。
歳をとるごとに味わいが増していく作曲家です。

シュッツの「小教会コンチェルト集」は
例の戦争でドイツが疲弊し、
演奏者さえも十分には確保できない中、
切り詰められた演奏者で
しかもシンプルに書かれています。
しかしながら、音楽は真摯で深遠であり
ひとは、豊かさの中よりも困苦にあってこそ
価値を生み出すかのようでもあります。
もって瞑すべしというところでしょうか。

第二次大戦の後
ドイツではリヒャルト・シュトラウスが
「メタモルフォーゼン」を書きました。
この作品を聴くと
あのドイツがすべてを失い、
焼け跡に立って茫然自失しているかのように
私は感じます。

それに対して、太平洋戦争敗戦の後
日本人は、そうした芸術を産まなかったように思うのです。

日本人の「あいまいさ」というのは
自分が責任を負わないことでもあります。
ただ、私は、いわゆる「自己責任論」が大嫌いです。
自己責任を押し付ける人々の心の根底には
正義があるのではなく、妬みや憎しみがあるからです。

学校教育においても
単にディベートさせるのではなく
単に小論文を書かせるだけでなく
主張の根底に、どんな隠された心と目的があるか
自己分析をさせるべきだと私は考えています。
論理的思考だとか、知識や言葉の正確性だとか、
導入から結びまでの文章の組み立てだとか、
たしかに必要なことなのですが、
なんのために言葉を使うのか
なんのために自己を表現するのか
それが今の教育には欠けていると
私は考えています。

メディアリテラシーが広まりつつありますが
究極のメディアは自分自身です。
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青森りんご@所沢
玄人さん
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登録日: 2006年9月 04日
投稿記事: 446
所在地: 所沢市

投稿1時間: 2007年3月21日(水) 10:53    題名: ボケの花につきまして 引用

くろかりん様

ブログでボケの花の写真をアップいたしました。

http://blog.livedoor.jp/dorci/

何のジャンルかわからないようなブログになっておりますが
ご覧になっていただければ幸いです。

ほんとうに大づかみに、戦国時代から徳川時代にかけての歴史を
寧日記として書き綴って、もうすぐ100回になります。

自分でも思いがけない方向に話が進んでいくので
目が離せません。(笑)

なるほど歴史というものは重層的になっていて、
年代順といった単純なものではない、
多変数の方程式を解くようなものなのだ、
という感慨を深くいたします。

歴史を考えることは、ジグゾーパズルを完成するのと
似たようなものにも思います。

実は、ここだけの話(これが得意なんです)
私がジグゾーパズルで完成した唯一のものは
ルードウィッヒ2世のつくったノイシュバインシュタイン城の写真
でした。
現在多くの観光客を呼び込んでいるのを見ると
歴史の評価というものは実に難しい、と思います。

EUを推し進めたヨーロッパの人々のような大きい目を
日本人ももたなければならない時期に来ている、
そうでなければ、日本は孤立していくでしょう。

格差社会をどうするべきか、を多くの若い人たちも
考えているようですが、戦前の2.26事件を起こした
あの間違いを起こしてはならない、と思います。

団塊の世代は、けっこうそれなりに「いかがわしさ」に
免疫というものがあるのですが、若い世代は素直なので
疑うこと、もう一度自分の頭で考えてみることをあまりしない
ようで心配になってまいります。

老婆心というもの、もっとステキな名前がないものでしょうか。


11人が死傷した美浜原発事故で、関電社員たちは略式起訴で
罰金刑だそうです。
公判が開かれず、事故の原因究明がきちんとなされないとのこと。

ライブドア事件では断固たる態度で臨んでいるというのに。

歴史を見る目からすれば、日本をどんどん三流国に落としていく
この自浄作用ならぬ自汚作用のようなものをくい止める手立ては
ないものか、と思います。

検察にしても警察にしても上意下達の世界なのでしょうから
上の方たちの責任は大きいと思います。

それとも日本という国は上というものがあいまいで
上があるがごとく権威をかさにきて愚行を繰り返している
そういう国になってしまっている、のでしょうか。

警察官の不祥事や自殺も止めることができないようにみえます。

やはり裁判員制度というものを導入して、いろいろな人の知恵を
拝借しないといけない、もしかして待ったなしの状況なのでは、
と、ここでも老婆心が首をもたげてまいります。

長文に駄文をつけたしました。
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青森りんご@所沢
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登録日: 2006年9月 04日
投稿記事: 446
所在地: 所沢市

投稿1時間: 2007年3月16日(金) 16:56    題名: 衝き動かすものは何か 引用

こうしてくろかりんさんとのやりとりをしている間にも
いろいろな裁判が行なわれて、考えさせられることがたくさんあります。


人を動かすものは理屈ではありません。
少なくとも私は合理的な考えの下にこうして書き込んでいたり
していない、ということに自分でも不思議に思います。

ライブドア事件について、堀江氏逮捕を聞いた時だったかと思いますが、
初めて証券会社に行き、多くの書類を書いて取引できるようにして
ライブドア株を550株を買いました。

その後数回買い増しをしました。

まるで、日本再生には、ライブドアなる目に見えない扉をあけなくては、
とでも思っているように。

今の日本は耕すことを忘れたコチコチの土のようです。

若い人を平気で使い捨てで働かせ、夢を奪う、
既得権益を守り、なんの社会的な還元を考えず、
将来の展望を描くことのできない経済人や政治家たち、
そして司法に関わる人たちも首を傾げさせる文言を並べる。

薬害や大きな事故でたくさんの死者が出ても
責任者は執行猶予つきの判決あるいは不起訴

これでは将来、原子力による大災害は起こるだろうし、
命を軽んじるという意味で戦争への道も開かれるでしょう。


考えていることを述べ立てることができる
虚空間ではなく実空間が得られる
ということで、ぜひ若い人たちはとくに裁判員制度に
関心をもってほしいと思います。
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くろかりん
ゲスト





投稿1時間: 2007年3月15日(木) 23:32    題名: 長文失礼します 引用

経済的に豊かな人は
すぐにでも弱者になりえます。
本当に大金持ちでない限り
いわゆる「勝ち組」とて他人に使われているにすぎず
ストレスや不安を溜め込むのはぬしろ当然のことでしょう。

したがって、他者に石を投げつけさせる心の力の源は
弱者にせよ強者にせよ、同じだと私は捉えています。

裁判員制度が実施される以上
その源を何とかしなければならないのです。
それには、りんごさんの考えも加えると、
神の愛の前に、あるいは仏の法の前に
「平等」である状態にまで成っていなければならないのです。
その方法論として
町づくりへの参加、宗教への帰依などがあるのだと思います。

またしても卵が先か鶏が先かという話ですね。
いずれにしても、わたしたちの社会は、また個人は
成長しなければならないという点で
意見は一致しているとは思いますが…。

さて、見方を変えるということでは
赤瀬川原平さんの『老人力』はご存知ですか?
齢を重ねて衰えゆく体と心のありようを
「老人力が付いた」と捉えなおす試みです。

この本をはじめて読んだとき
もう少し若かった私は、価値観を揺さぶられました。

最近では、ある牧師さんに紹介された本で
Doingではなく、Beingであることの大切さに気づきました。
ともにいること、在ることこそ平和の源であるという考えです。
そういえば、家の猫どもは、何の役にも立たないようでいて
いつもそばにいて、たしかに「平和」を生んでいると感じます。

「お金ですべてが動くと思っている人
人はみな下心があると思っている人
あるいは世の中のせいでいつも自分は損な人生を送っていると思う人
自分は人に愛されたことはないと感じている人」

これは、かつての私のことでもありますが
(だから、ドキっとしました)
実はそうではない生き方が
今からでもすぐにできるのだと思います。

私は、自分が読んだ本や聞いた話からの言葉でしか
表現できないのですが
人生経験を積まれたりんごさんのことですから
お分かりのことと思います。

要は、裁判員制度の準備としてであれ、
裁判員制度の結果としてであれ、
わたしたちの社会は
他者との関係を見直さなければならないということであります。

先日、鎌倉に参りました。
何とかという桜がきれいでした。
私は無粋なもので
「ボケ」という花がどんなものか実感がありません。
逆に知らないだけ、きれいなものをきれいだと感じられるかもしれない
というように都合よく解釈しております。
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青森りんご@所沢
玄人さん
玄人さん


登録日: 2006年9月 04日
投稿記事: 446
所在地: 所沢市

投稿1時間: 2007年3月15日(木) 12:01    題名: お元気そうでなによりです 引用

こうしたやりとりは、気力が充実していないとつまらないものと
なってしまいますので、健康にはより留意したいと思います。

我が家の小さな庭は、さまざまなヒントをくれるありがたい存在です。
たしか中国製とかいう盆栽をスーパーで買ってきて、地植えをした
白いボケの花が咲き出しました。

変に切ってしまったので地面すれすれに花をつけています。
緑がかった白でぷっくりして、梅や桜よりすてきだ、と思っております。

ボケという名前を変えてやりたい、という気がいたします。

妊娠、出産のとき、母子手帳を当たり前のようにもらっておりましたが
たいへんありがたいものでした。

高齢者にとってああいうものがあれば、と思います。

自分がボケたとき、自分はどういう人間であったとか、
お世話になる人にあらかじめ感謝の気持ちをつづっておくとか、
尊厳死についての意思表示をするとか

そういったものをつくることで自分の人生を客観的にふりかえる
ことができれば、世の中の景色も変わってみえるのでは、
そして裁判員となることにも役立つのでは、


白いボケの花を眺めつつ、そんなことを考えました。

くろかりんさんのご意見の中に、
どちらかというと社会的弱者が裁判員になったとき
のことに言及されているところがありましたが、

何不自由なく暮らしている人間が
人間を厳しく断罪して、切捨てたりもする

豊かな人間ほど、その生活を失う恐れがあって
不安を抱えている

そういったことも見聞してきました。

だから裁判員制度は問題なのか、
だからこそ裁判員制度が必要なのか


ふと、なんびとも神の前には平等である、という言葉が思い出されました。

お金ですべてが動くと思っている人
人はみな下心があると思っている人
あるいは世の中のせいでいつも自分は損な人生を送っていると思う人
自分は人に愛されたことはないと感じている人

少なくとも裁判員として平等で、人を裁くということは、いっとき神の配下になる
ことになるでしょう。

もしかしたら、世の中や人生を違う角度から見ることができる
機会になるかもしれません。


青森りんご@所沢が2007年3月16日(金) 01:06に記事を編集, 編集回数: 1
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くろかりん
ゲスト





投稿1時間: 2007年3月13日(火) 18:28    題名: ご無沙汰してました 引用

風邪の後、急に仕事が忙しくなっていました。
イスラエル人を案内したり、商談の手助けをしたりで
体と頭がフル回転していました。
そうなると風邪など吹き飛んでしまったようです。

さて、本題に戻りましょう。

日本人は疲れている。
その通りだと思います。
疲れといっても色々あって
戦後復興期や高度経済成長期での疲れではなく
夢や希望の持てない中での
不安やストレスや怒りに嫉妬も入り混じった、
そんな疲れではないでしょうか。

そうした社会の中で疲れを軽減していくには
豊かな人には納得いかないかもしれませんが
仕事をシェアして、
パートやアルバイトの権利を向上させることを
法制度化するしかないと思います。

能力主義、成果主義では
生きられない人が出てきます。
「それを自己責任だから仕方がない」とするのが
昨今の風潮でありますが、
そもそも競争のスタートラインが不平等・不公平なのですから
インチキ競争が行われているに過ぎません。

もちろん数字的に完全な平等など不可能なことですが
努力が報われる社会でなければ
努力する気になれず、犯罪に向かったり
犯罪者を罰することに自分のストレスを発散したり
弱いものをいじめたり
道徳やマナーを無視したり
といった生き方をする人が増えるのは必至です。

そうした現象は、人びとの心の叫びであります。

私が為政者、知識人、権力者、豊かな人に望むのは
そうした心の叫びに耳を傾け、聞くことです。

どんな策をとるにせよ
まずは、そこからのスタートではないでしょうか?
裁判員制度もまた同じです。
単に体調とか気分の問題だけではないと思うのです。

つまり

社会の仕組みのために、
あるいはずるがしこい人のせいで、
自分の努力が報われず、
損ばかりしていると感じている人が
裁判員になったからといって、
急に社会正義のために
あるいは見知らぬ他人のために
行動するのですか?

そういうことなのです。
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青森りんご@所沢
玄人さん
玄人さん


登録日: 2006年9月 04日
投稿記事: 446
所在地: 所沢市

投稿1時間: 2007年3月07日(水) 23:23    題名: 寒暖の差がありますので 引用

ご体調のほうはいかがでしょうか。

風邪のときは暖かくして横になるのが回復が早いと思います。
徹夜続きで免疫力が落ちていたのではと思われますが、
うどんやホッカイロ(尾てい骨の部分に貼る)がよく効きます。
自分の体の中で病原菌と戦っている免疫細胞を想像するとよいとか。

病気でなくても疲れというものがあれば、人間は人に優しくできません。
しかし、今の日本は子供から大人まで疲れている人間が多いような気がします。

睡眠時間も栄養も足りないのでは、と思います。
スーパーなどで若い人のカゴの中身が気になります。

もしかしたら、日本人の体を損なうべし、の陰謀でもあるかと思ったり
するほどです。
それともサプリメントとか薬の業界が半病人を歓迎とか。

外食産業にも揚げ物や糖分を少なくするように指導してほしいと
思います。

いろいろな社会現象が栄養(ビタミン・ミネラルなど)の不足で
説明できるとのことです。
ストレスの多い体は体内で毒素を作るだろうし、腸の動きも悪くなる
でしょう。忙しいと食事が不規則になり、排泄も我慢したりします。

裁判員が不機嫌では話し合いにも影響が出ます。
国はもっと積極的に健康的な生活を推進するような施策を考える
べきだと思います。

睡眠不足の人が多い職場があれば適正な人員の配置をさせる
べきでしょう。

また、食費、スーパーの消費品目の動向などを通じて
食事についてのなるべくしっかりした全体像をつかむ必要がある
と思います。


またほんとうに忙しい人が裁判に参加したとき、いらいらするなど
ありそうな気がします。

くろかりんさんが心配するのはそういうことなのでしょうか。
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くろかりん
ゲスト





投稿1時間: 2007年3月06日(火) 22:31    題名: 思い浮かんだことの方が… 引用

何となしに思い浮かんだことの方が
もしかすると的を射ていることがあるかもしれません。

裁く人間は、裁きにおいて、
自ら受けてきた心の傷に対する復讐を果たす危険性があります。
もちろん裁かれる側は、犯罪において、
やはり世の中に何らかの復讐をしている可能性がある。

裁きと償いが
参加者すべてにとって、癒しとなるのなら
裁判員制度も良しということかと思います。

ただ、いまの社会を見ると
人に勝つこと、うまく儲けること、
他人を蹴落とすこと、奪い取ることが目的とされ
傷を癒すには誰かを傷つけることが必要になっていないでしょうか?

裁判員になってはじめて
そんなことを考えられるのかどうか。
そこが怪しいなあと、わたしは考えます。

今日は一日、風邪でダウンしていました。
窓を開けて新鮮な空気を入れながら
寝転がっていたのですが
さぼっている気がして、どうも落ち着かない一日でした。
こういうのも、近代現代の悪しき側面かもしれませんね。
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青森りんご@所沢
玄人さん
玄人さん


登録日: 2006年9月 04日
投稿記事: 446
所在地: 所沢市

投稿1時間: 2007年3月05日(月) 22:09    題名: 思い浮かんだことだけで 引用

普通のおしゃべりのように、深く考えないでの発言です。

たとえば、小さい子どもに聖なるものを感じることはよくあります。
子どものとき、想像力は皆豊かだと思います。

あまり多くの人間と接触しないようにしているせいなのか、
あるいはネットにはまって、人間の心に敏感になっているせいなのか

どのような人間でも心の奥には子どものような聖なるものが隠れている
のでは、と思うのです。例のひよこです。

裁かれるほうは当然でしょうが、裁くほうも傷ついた心を抱えている場合が
あるでしょうね。
裁く側の心の傷を治すという観点も必要なのではないか、
そうでないと、公正な裁判が行なわれないだろうということもあると思います。

心の傷を治すのに、その隠れている聖なるものをできるだけひっぱリ出すことが
できればと思います。

私の例で恐縮なのですが、こうして掲示板であれこれ書き込むために
自分の人生をふだんは忘れているようなことまでふり返りました。
そのときにいろいろな人の眼差しに気づいたのです。

詳しくはありませんが、森田療法などでもそのような手法がとられる
と読んだことがあります。

裁くほうも裁かれるほうも、静かに自分の人生をしっかりとふり返る
それが必要なことであるかもしれません。
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